『劇場建築セミナー』~劇場建築家、自作を語る~Vol.03 開催レポート
Vol.03では、伊東豊雄建築設計事務所代表取締役の伊東豊雄氏、取締役の東建男氏をゲストにお迎えしました。週半ばの平日にもかかわらず、多くの方にご来場いただき、開演前から会場は活気に満ちていました。
伊東氏はセミナーの冒頭、会場に足を運んでくださった方々、そしてこれまで劇場設計でお世話になった方々へ、感謝の言葉を述べられました。その温かな心遣いにより、会場は一気に和やかな雰囲気に包まれました。
劇場と劇場的な体験
はじめに語られたのは、伊東氏の劇場体験についてでした。
これまでに訪れた劇場の中でも特に印象深いものとして挙げたのは、オペラの鑑賞で訪れた東京文化会館、建築家として敬愛する村野藤吾氏の代表作である日生劇場、そしてベルリン・フィルハーモニーです。ベルリン・フィルハーモニーで聴いた生のオーケストラは、「身の毛がよだつような素晴らしい演奏だった」と振り返ります。
一方で、強く記憶に残っているのは、必ずしも“劇場”と呼ばれる場所での体験とは限らないそうです。音楽に精通していた姉のために設計した住宅の中庭に演奏家を招き、小さなコンサートを開催したこと。自邸「シルバーハット」でファッションショーを行ったこと。そうした劇場ではない場所が「劇場的」に使われることにも、伊東氏は魅力を感じています。
劇場建築と設計の軌跡
続いて、伊東氏はこれまで手掛けてきた劇場建築を振り返りました。
最初に設計した劇場である長岡リリックホール(1996年)のコンサートホールは、壁面の色彩が下から上へとグラデーションを描く構成が特徴的だとしています。また、客席は楕円形の配置で、音響設計には試行錯誤を重ねたそうです。東氏からも、「意匠と音響が切り離せない関係にあることを改めて実感した」という話が加わり、劇場建築ならではの難しさが浮かび上がりました。
仮設建築の事例として紹介されたのは、六本木のレストランバー・ノマド(1986-1987年)です。ここで能を上演したことも、「劇場的」な体験であったと話しました。
また、「最も設計が難しかった劇場」として挙げたのが、まつもと市民芸術館(2004年)です。敷地の地下には伏流水が流れており、地下をほとんど掘ることができず、そのうえ限られた敷地の中での設計が求められました。長岡リリックホールにも通じるグラデーショナルな色彩構成も、劇場の印象を特徴づけています。同館で芸術監督を務めた串田和美氏も紹介されました。演出家でありながら、役者であり、観客の視点も持っていた串田氏は、主ホールの舞台上に客席を設けるなど、常に観客と演者の距離を縮めることを考えていた人物だったと振り返ります。
伊東氏は、座・高円寺(2008年)においても、限られた敷地の中で機能構成をまとめています。また、事務所の40周年記念の集まりで座・高円寺のホールを借り、伊東氏が自らステージに立ち、北島三郎の「まつり」を歌ったというエピソードも披露されました。
さらに、海外での代表作として、台湾の台中国家歌劇院(2016年)の紹介もありました。連続する曲面の構造体が特徴的な建築ですが、その複雑な三次元曲面を実現するため、トラスウォール工法による施工に約2年半を費やしました。伊東氏はこの劇場を「まちの中を歩くような建築」と称しています。エントランスホールでストリートコンサートが行われた光景は、まさに伊東氏が思い描いていた姿でした。
劇場を核とした複合施設
伊東豊雄建築設計事務所では、劇場単体にとどまらず、劇場を組み込んだ複合施設も数多く手掛けています。
大社文化プレイス(1999年)は、劇場と図書館を組み合わせることで、催しのない日にも人が訪れる場所となっています。また、せんだいメディアテーク(2001年)の1階に設けられたオープンスクエアは、日常的にイベントを行える「屋内化された広場」と表現しました。ぎふメディアコスモス(2015年)のオープンギャラリーや、水戸市民会館(2022年)のやぐら広場なども、その考え方を象徴する空間です。茨木市文化・子育て複合施設 おにクル(2023年)は、年間約200万人が訪れ、「地域の人々にとっての第二の家」のような存在だといいます。催しも積極的に企画され、ホワイエはホールが稼働していない時間には盆踊りなどの場として活用されています。
このように、伊東豊雄建築設計事務所の手掛ける複合施設には、劇場を建物の一部として完結させず、その周囲にまで、子どもから大人まで様々な人の活動を広げていく姿勢が共通しているといえます。
建築全体、まち全体を劇場と捉える
伊東氏は、近年の劇場やホールにおいて、主たる機能だけでなく、ホワイエやエントランスホールなどの“余白”となる空間をできるだけ確保することを考えているといいます。「子どもが走り回ったり、一人ひとりが自分の居場所を見つけたりできるような、楽しい場所をつくりたいという想いがある」と語りました。これに対して東氏は、「そうした空間を様々な使い方ができるよう充実させることで、かたい機能とも自然に溶け合うことができている」と付け加えました。劇場以外の場所にも、文化に触れ、思いがけない体験や出会いが生まれる“余白”をつくる。伊東氏が語る「劇場的に使われる」建築とは、そうした日常の中に潜む可能性を引き出すものなのかもしれません。
また、伊東氏のこれからの“夢”についても話が及びました。
伊東氏が描く夢は、「寝っ転がってもいいホール」をつくること。「かつての勧進能の上演場のように、桟敷席でお弁当を食べたり、ときには野次を飛ばしたりしながら、一日を通して自由に観劇できる。そんな劇場の姿を、現代にもう一度つくることができたら面白い」と語りました。咳ひとつすることさえためらわれるような、緊張感のある空間ではなく、観客がそれぞれのスタイルで自由に過ごすことのできる劇場。そこには、劇場を鑑賞するための場所に限定せず、人々が思い思いに時間を過ごせる場所として捉え直そうとする伊東氏の考えが表れているといえます。
最後には、伊東氏から、これからの建築を担う若い建築家たちへのメッセージがありました。「現代では劇場のスタイルは確立されており、その形式を崩すことは容易ではない。建築全体、さらにはまち全体を“劇場”と捉えることで、エントランスやホワイエといった場所で面白い事が出来る方が重要である。そうした広い視点で劇場を解釈すると、新たなアイデアが生まれるのではないか――。」
劇場という枠を少し拡げてみると、その先にはこれからの劇場建築の新たな可能性が見つかるのかもしれません。