劇場セミナー 『幕が上がる、その前に』― 創造の舞台裏から劇場を探る ― Vol.03 開催レポート
劇場セミナー『幕が上がる、その前に』Vol.03は、日本のジャズダンス界を切り開き、数々の舞台やミュージカルの振付を手掛けてきた振付家・名倉加代子氏をゲストに迎え開催しました。ホストはVol.01、02に続き、歌舞伎の脚本・演出を手掛ける戸部和久氏と、劇場を愛するアナウンサーの中井美穂氏です。
3回目となる今回は、ダンサー、振付家、演出家として長年劇場と向き合ってきた名倉氏の歩みをたどりながら、「劇場とは何か」を考える時間となりました。
冒頭では、童謡に合わせて踊る児童舞踊で踊りと出会い、バレエを学び、テレビ草創期には生放送番組で踊る日々の、名倉氏の原点となるエピソードが語られました。名倉氏はその中で「本当に自分は踊れているのだろうか」という疑問を抱くようになったといいます。カメラや画角に合わせるテレビと、観客と同じ空間を共有する舞台。その違いを見つめるため、名倉氏はすべての仕事を離れ、単身ニューヨークへ渡りました。
転機となったのは、現地のレッスンで先生から掛けられた言葉でした。
「あなたはここにいる誰よりもジャズのフィーリングがある」
それまで模索していた自分の踊りが肯定された瞬間でした。日本人でもジャズを踊って良いのだという確信を得たことが大きな自信となり、その後の人生を大きく変えます。帰国後、NHK『ステージ101』でダンス指導に携わったことをきっかけに、4人の生徒から始まった名倉ジャズダンススタジオは、日本を代表するダンススタジオへと成長していきました。
演出家やスタッフとのエピソードでは、名倉氏は若い演出家に対しても「遠慮しないでほしい」と常に思っていたと語りました。年齢や経験ではなく、自分が実現したいことを明確に伝えることが大切であり、その情熱が伝われば周囲も力を貸したくなるのだといいます。
「それが自分の意に反してでも、演出家がこうしたいというなら、自分の持っている技術と能力で支える」
その一方で、自ら演出を担う際には「絶対的に演出家として責任を持つ。妥協はしたくない」と語り、作品づくりへの強い覚悟をのぞかせました。
スタッフとの信頼関係を象徴するエピソードとして印象的だったのが、名倉氏が長年タッグを組んできた照明家 勝柴次朗氏との話です。
「あまり良い素材ではない衣裳をビロードのように見せてくれるのは照明家」
演出家には明確なビジョンを求める一方で、勝柴氏には「リハーサルを見てもらって、あとはお任せ」と伝えていたといいます。作品の本質を理解し、自らの感性と技術で想像以上の世界をつくり出してくれる存在。舞台芸術が多くの専門家の協働によって成り立つ総合芸術であることを改めて感じさせるエピソードでした。
後半は、いよいよ「劇場」そのものへと話題が移ります。
名倉氏は、新宿コマ劇場、宝塚大劇場、青山劇場、新国立劇場中劇場など、数多くの劇場で作品を生み出してきました。日劇ミュージックホールや浅草国際劇場で振付を手掛けた経験にも触れながら、「劇場によって作り方はガラッと変わる」と語ります。
半円形の客席を持つ新宿コマ劇場では正面の取り方に苦労し、宝塚大劇場では❝銀橋❞と呼ばれる客席側に突き出た通路状のエプロンステージという特殊な空間を意識した演出が求められる。それぞれの劇場の個性が作品づくりに大きな影響を与えることが語られました。
中でもひときわ熱を帯びたのが、青山劇場についての話題でした。
名倉氏が『アニー』や少年隊の『PLAYZONE』など数々の作品で携わった青山劇場は、メインステージの床が3×8列の計24区画に分かれ、それぞれが独立して昇降できる迫りを備えた特徴的な劇場です。しかし、その機構を安全に運用するためには、舞台監督が踊りを理解し、出演者やオペレーターと緻密な連携を取らなければなりません。
名倉氏は青山劇場完成時に行われた舞台機構のデモンストレーションを見て、巨大な機構を前に「機械が勝っている」と感じたそうです。そこで名倉氏は「これは機構との戦いだ」と考えたといいます。青山劇場で開催した自身のダンススタジオ公演で、出演者全員を顔を布で覆った“のっぺらぼう”の姿で登場させるなど、舞台機構に負けない強烈なインパクトを生み出そうとしたのです。
「機構の力ってすごいですから、それを超えるものをやらなければ機構に負けるなと思った」
機構を利用するだけでなく、それを超える表現を目指す。その発想に創作者としての挑戦心が表れていました。
名倉氏は「劇場はみんな個性的であるべき」と語ります。宝塚歌劇団の劇場には銀橋があり、新宿コマ劇場には独特の客席形状や三重の回り舞台があった。同じような劇場ばかりではなく、それぞれに個性があるからこそ、多様な作品が生まれるのだといいます。
さらに、劇場における「見え方」の話題では、ニューヨークでミュージカル『RENT』を観劇した際の体験も紹介されました。
一階席前方の高額な席でありながら、舞台の一部が見切れる端の席。しかし、俳優たちの汗や息遣い、舞台上から放たれるエネルギーを間近に感じたことで、その価値を実感したといいます。
また、照明やダンスのフォーメーションは二階席だからこそ味わえる魅力もあることに触れ、「本当に好きな作品なら違う席で二回観るのもいい」と語りました。劇場によって作品の見え方は変わり、座る場所によっても発見がある。だからこそ、「二枚チケットを買いたくなるくらいワクワクする作品を作りたい」という言葉は、創り手としての理想そのものでした。
理想の劇場についての話題では、会場が笑いに包まれる一幕もありました。
「これから劇場を作るなら、トイレの数は絶対に多くしていただきたい」
駅から近いことや雨に濡れずに行けることも大切だが、「今日いちばん言いたかったことかもしれない」と名倉氏。戸部氏も、上演作品や客層によって必要なトイレの数や男女比が変わることなど、劇場設計の難しさを紹介しました。
そして最後に名倉氏は、「あの劇場に行きたい」「ワクワク出来る場所」と思える劇場こそ、理想の劇場だと話しました。そこに身を置くこと自体が楽しみになること。温かく観客を包み込む劇場もあれば、少し緊張感を与える劇場もあっていい。劇場にはそれぞれの個性があってよいのだと語りました。
セミナーの締めくくりで名倉氏は、これからはもっと多くの「劇場の個性を知りたい」と述べるとともに、若いダンサーたちが小さな劇場でも積極的に発表の機会を持ってほしいと語りました。
テレビでは伝わりきらない呼吸や熱気があり、演じる人の息遣いと観客の感動が交わる瞬間こそ劇場の本質とする、65年以上にわたり踊り続けてきた名倉氏の言葉は、劇場が単なる建物ではなく、人と人が出会い、感情を交換する場所であることを改めて教えてくれるものでした。
『幕が上がる、その前に』Vol.03を終えて
テレビ草創期から現在に至るまで第一線を歩み続けてきた名倉氏の言葉からは、表現とは技術だけでなく感性によって支えられていること、そして舞台芸術が多くの専門家との信頼関係によって成り立つことを改めて学ぶことができました。
印象的だったのは、「劇場にこうあるべき姿はない」という言葉です。個性の異なる劇場があるからこそ、多彩な表現が生まれる。今回のセミナーは、劇場の魅力が建築や設備だけでなく、そこに集う人々の創造力によって形づくられていることを改めて感じる時間となりました。
次回Vol.04では、舞台美術家・松井るみ氏と舞台照明家・勝柴次朗氏を迎え、劇場空間を彩る視覚的な表現の世界と劇場の関係に迫ります。劇場の未来を考える旅は、まだ続きます。