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【ご報告】渋谷キャスト トークイベント「Urban Catalyst Vol.4 スペイン  サン・セバスティアン 世界中が注目する美食都市の秘密」

Urban Catalyst Vol.4
スペイン サン・セバスティアン
世界中が注目する美食都市の秘密

先日9/24に行われた Urban Catalyst Vol.4のリポートです。

人口20万人という地方都市ながら、ミシュラン星密度世界一の美食の都、スペイン サン・セバスティアン。そこで星付きレストランのシェフたちからも一目置かれる山口さんから、食テーマのまちづくりの秘密と最先端事情をお話いただきました。当日は、テーマにふさわしく飲食可能となり、お客様も、スピーカーである山口純子さんも、飲み物を片手に、和やかな雰囲気で開演となりました。

カタリスト:山口純子
美食プロデューサー
1995年からスペイン在住。
バスクの食文化に魅せられて、現在はサン・セバスティアンを中心に活動中。スペインや日本での料理学会の通訳、テレビ雑誌のコーディネートに携わる一方、観光客向けに美食倶楽部でのバスク料理教室やバルめぐりなどをプロデュース。郷土料理のコンクールなど審査員や食関係のイベントにも招待され、バスクの食文化の最新情報を提供している。2016年サン・セバスティアン栄誉市民賞候補。
主な実績 / ベラビスタ スパ&マリーナ尾道 メインダイニング”エレテギア”コーディネート、
新潟市×ビルバオ美食協定 プロデュース、キューピーマヨネーズ欧州キャンペーン コーディネート など。

私は18年位、スペインのサン・セバスティアンに住んでいます。SNSなどを通してお知り合いになった方などは「山口さんは何をしているの?」などとよく疑問に思われるようです。実際、私が何を仕事にしているかというと、美味しい物を食べて、飲んで、それを発信していく仕事じゃないかなと思っています。具体的には、テレビや雑誌のコーディネートから、近年増えた日本の自治体や企業の視察をお手伝いしています。私が住んでいる、サン・セバスティアンはここ10年位で、美食の街として、急速に知名度が高くなったので、その秘密を探りにいろんな方が、サン・セバスティアンにいらっしゃいます。今回は、この渋谷で、その秘密をお話させていただこうと思います。

ヨーロッパの中でも、豊かな街
サン・セバスティアン

まず、基本情報として、サン・セバスティアンはスペイン・バスク州ギプスコア県の県庁所在地です。バスク州は人口200万人(のみ)の小さい州です。
そのうち、サン・セバスティアンの人口は約18万人。「たった約20万人なのに星付きレストランがこんなにある」とか、
「たった20万人なのに世界に知られる美食都市」と、この「20万人」が重要なキーワードになっています。
スペイン全体の人口は、4656万人。その割合でみると、サン・セバスティアンは、さほど小さい訳ではありません。日本の人口は1億2000万人程ですので、日本の中で例えると中国地方の主要な県庁所在地といったところでしょうか。失業率は10%以下です。スペイン全体の若年失業率は高く、ひどいときには35%ですので、それに比べると非常に失業率が低い都市です。
GNPはEU平均を100とすると、サン・セバスティアンは122です。貧困層もスペイン全体では25%とされていている中で、9%のみです。ただ、同時にスペインで一番物価・地価が高い都市です。地価は1平米=3,035ユーロ(約40万円)。地方都市ではありえないです。つまり、普通のEUの平均より豊かであるという事が、キーワードになっています。

ラ・コンチャ湾すべてはこの海からはじまった

サン・セバスティアンの名所といえば必ず、ラ・コンチャ湾が挙げられ、その名は世界中で知られています。19世紀の終わりに世界中で海水浴がブームになりました。イギリス王室がフランスまで行って海水浴したり、フランス王室(ナポレオン)もスペインで海水浴したり。その中で、スペインのマリア・クリスティーナ王女がサン・セバスティアンを避暑地に決めたのです。避暑地で過ごすのは2ケ月ほど。その期間中ずっと、マドリッドの機能が移転してきていました。政治家も、それを相手にしている商売人なども、まるごとです。また1914年の第一次世界大戦にスペインは参戦していなかったため、貴族の高級避暑地として、競馬場、カジノ、劇場、飲食など富裕層の社交の場が発展し、外食産業も豊かに広がりました。これがサン・セバスティアンの美食の発展の一つの要因です。現在は年間200万人を受け入れる国際的な観光都市となりましたが、100年前から観光都市であったのですね。

現在の知名度アップの要因

以前はスペイン人の国内の避暑地でしたが、2013年からは国外シェアが逆転しました。
日本人観光客の数は現在17,805人。2014年と比べると6倍の伸びになっています。
きっかけは、2011年にサン・セバスティアンの観光局が、外国のジャーナリストを招待し、現地を見てもらうというキャンペーンを大々的に行ったことでした。
その結果、世界の観光のいろいろな賞や認定を受けることになりました。2016年には、栄誉ある欧州文化首都に認定され、1年間、様々なイベントを行いました。その中でも美食に注力し、更に知名度が高くなりました。

美食で有名になった理由
それは個人の努力の結果

街が観光都市として知名度が高くなっても、なぜ美食でこれほどまでに知られるようになったのか?その答えをサン・セバスティアン市役所や観光局の方に聞くと「それぞれの個人の努力の結果だ」という答えが返ってきます。それを後程、紐解いていきます。

正真正銘の美食の都 ミシュランの星からピンチョスまで

サン・セバスティアンでは2ユーロのピンチョスから、200ユーロの三ツ星レストランの料理など、様々味わえるのが、いいところです。“サン・セバスティアンでは、星は夜空に輝くだけでなく、地上にも輝く”
と、前市長が発言していました。
三ツ星レストランが3つ、ミシュラン星総数17個、人口一人あたりのミシュラン星数は世界一となっているのです。

新バスク料理を生んだ天才シェフ達の偉業

もともとスペインは北の方が、食が美味しい、バスクっておいしいと認知されていました。前出の「それぞれの個人の努力」といえる著名シェフにより、さらに新バスク料理が発展しました。
  
●レシピの確立と保存
画期的なルイス・イリサール氏の料理学校
ロンドンヒルトンなどでも料理長を務めたルイスさんは、バスクに戻り、スイス式の料理学校を作りました。その第一回の卒業生が、ペドロ・スビハナ氏です。こちらの学校で、伝統的なレシピを確立して、保存しました。

●革新
生徒だったペドロ・スビハナ氏とフアン・マリ・アルサック氏。お二人は、1976年にマドリッドで、ヌーベル・キュイジーヌで知られるポール・ボキューズ氏の講演に感銘を受け、“自分達も何かやらなければ!世界にはこんな動きがあるのだ!”と、バスクに戻り、前出のルイス氏に相談したそうです。そしてシェフたちを集めて「バスク料理とは何ぞや?」と協議を重ね、バラバラだったみんなのレシピから、スタンダードなレシピを作り、保存しました。また、伝統的なレシピを基に新しいレシピを作ることにも注力しました。

●情報発信・料理人の地位の向上に貢献
彼らは当時の主力メディアであった新聞やラジオの記者を呼び、画期的な「新作発表会」を行いました。テロなど、暗い話題ばかりだった時代に、明るい話題として、新聞欄に“〇〇氏の今日のレシピ”といった記事が出るようになりました。この「メディアに料理人が出る」という新しい試みにより、料理人の地位も向上しました。なんと今から40年前に9人ほどのシェフたちで盛り上げたこの動きにより、新レシピが残り、料理人の地位も確立したのです。「サッカー選手になりたい」と同じように、「料理人になりたい」という子どもも現れるようになりました。さらに、過酷な労働のイメージを払拭し、料理人の地位を向上させるため、2009年にバスク・クリナリー・センターという、4年制の料理の大学を作りました。大卒の料理人はいなかったため、画期的な出来事でした。このような料理人の個々の努力で、バスク料理・サン・セバスティアンの食文化が発展したのです。

1900年~食文化に貢献した市民たち
美食倶楽部

シェフ達だけでなく、庶民もバスクの美食に貢献しました。
皆さんは「美食倶楽部」を聞いた事があるでしょうか?バスク地方にある、会員制の食堂です。女人禁制などとも言われています。食堂には厨房がついており、会員たちが自分たちで料理をし、集まって食事を楽しみます。市内に100近くあり、それぞれが鍵を持ち、倶楽部に出入りしていました。政治結社、労働組合の集いなどから発展しているともいわれています。都市の発展と共に農村から人口が流れてきて、数世帯が一緒に住んでいた当時、スペインでは、1階部分は住んではいけなかったこともあり、1階を倉庫として使いつつ、そこでお酒などを飲んでいて、さらに料理も作るようになったのが起源ではないかといわれています。
女性が入れないという事に関しては、マドリッドの方が言っていたのは“バスクの女性は世界一頭がいい”。女性が入れないということ=他の女性も入れないのでへんな虫がつかない(笑)ということだそうです。
また、男性にとっても、男性のみという縛りが、誇り高さを醸し出していました。倶楽部では、代表が責任を持ち、席を予約して、自分の家の延長のような感覚でゲストを招き、好きに使っていいのです。毎週、美食倶楽部を開催しているおじいちゃん達が今も存在します。このようなカルチャーも、食に対して意識が高い住民が美食に貢献した結果といえます。

ピンチョスの起源・文化・流れ

旧市街だけでも150軒もある、ピンチョスを出すバルには世界中から観光客が来ています。起源は、バルで出す、お酒のおつまみです。70年前に発案された当時の庶民はバルか酒屋で飲んでいました。サン・セバスティアンでのピンチョスのベースは、瓶詰・缶詰でできるものでした。その後、パンの上にのせたりする、一口で食べられるフィンガーフードとなり、色合いが美しい飾り付けになっていきます。
1980年代になり、並べたものをお客様が選べて、さらには見た目にも美しく美味しいものが出てきて、毎年ピンチョスコンクールが行われる様になりました。
1990年代からは、サン・セバスティアンから新しく、小皿系ピンチョスといった小さいお皿に何品も少量が乗っているものが発信され始めました。こちらは、小さなポーションを、注文後に出すということで、既存のピンチョスのように並べたまま乾いてロスになってしまうことがなく、スペイン全土に広がりました。タパスは原始的なものが多いですが、サン・セバスティアンのピンチョスは、小さくても手が込んでいるものが多く、最新の料理の傾向が見られます。

サン・セバスティアンは、なぜお店が多いのか バスクのポテオ はしご酒

お昼休みで家に帰る前(昼食を家でとる習慣があるため)、そして夕方の帰宅前に、仲間とはしごして飲むのが、庶民の間の昔からの習慣です。バスクでは割り勘はカッコ悪いとされているので、5人のおじさんが集まれば、5軒も”ポテオ”(はしご酒)します。昔は、この習慣をしている男の人がたくさんいましたが、今は高齢化等により、減ってきていますしおり、実際、体に良くありません(笑)。若い人は昼間の仕事に支障が出るということで、週末だけポテオするという方もいるようです。
このように、市民のひとりひとりが家で飲むのでなく、バルに行って、バル文化を支えており、数が多くてもバルがそれぞれ成立しています。

まとめ 美食都市としての発展

1. 150年以上も観光地として栄えている長い歴史と伝統
2. 地理条件(美食大国フランスが隣)
3. 気候(屋内で楽しむ文化)
4. 食文化における民度の高さ(美食倶楽部・シェフの努力など)
 
このような要因があって、現在の様なサン・セバスティンになりました。以上です。 
ありがとうございました。

質疑応答

Q:サン・セバスティアン行政が観光都市としてかつて力を入れていたましたが、今は何に力を入れていますか?
A:研究所施設が多いため、これからは観光でなく、大学都市のように、研究者などを家族で受け入れて豊かな街にしたいと考えているようです。スペインは給料が安く、頭脳流出が多いので、そのような人に戻ってきてもらえるような街づくりを行っているようです。
Q:シェフの方のレシピの保存とは具体的にどのような形なのですか?
A:まず、学校にレシピを残したということが挙げられます。日本でもそうですが、職人さんは「背中で覚えろ」とか、絶対に師匠が教えてくれないといったことがありました。スペインでも似たところがあり、レシピも人によって匙加減が違うと、いい加減なものしか残せない。そのため、きっちりしたレシピを確立させたということです。データベースを残しているというよりは、学会で研究を発表するといった形で残しています。発案者をクリアにし、レシピをみんなで共有しています。誰かに広めてもらい、アレンジされることは発案者も歓迎のようです。
Q:何がきっかけでサン・セバスティアンに行かれたのですか?
A:スペインが好きで語学を勉強していまして、住もうとしたとき、まわりに聞いてみるとみんな北がいいというので行ってみたら、非常に住みやすかったのがきっかけです。サン・セバスティアンの人は、日本人に非常に近いです。日本人よりフレンドリーで、いい加減とフレンドリー具合のバランスがちょうどいいです。他のスペインの街は、めちゃめちゃなところもあります(笑)。その点、サン・セバスティアンはとても住みやすく、現在に至ります。
Q:ピンチョスコンクールなど参加できるのですか?
A:普通の人が入れないコンクールもありますが、サン・セバスティアンでは、チャリティーイベントなどが多く、ピンチョス1個ユーロなどで、お祭りをして、みんな参加できるものも多くあります。