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【ご報告】渋谷キャスト トークイベント「Urban Catalyst Vol1 – 都市はいかにしてアイディアの触媒になれるか -」

このイベントは、渋谷ヒカリエのヒカリエホール・カンファレンスと、渋谷CASTのキャストスペース・ガーデンの運営を行っている株式会社シアターワークショップが2020年に向け、変化を続ける渋谷の一員として株式会社アーキネティクスとともに、渋谷を革新するためのアーバンチャレンジ、都市を舞台にした創造的な企みと試みを共有する場として企画いたしました。

まず、アーキネティクス吹田良平さんからコンセプトについての説明がありました。
「バイオテクノロジー、生物学の現場では化学反応を起こすために細胞が分裂する空間、シャーレを作りますが、細胞同士の結びつきが終わるとシャーレは死滅するんです。
イノベーションを糧にして経済発展を目論む都市と同じだなと思います。
CASTは化学反応を起こす触媒となるべきと考え機会を創出しました。
では早速、浜野さんをお呼びしましょう。」

浜野 安宏氏
プロフィール
浜野氏は1941年京都生まれ。日本大学芸術学部映画学科演出コースをご卒業。
フロムファースト、東急ハンズ、AXIS、QFRONT、青山AOなど、数々の施設を総合プロデュースされ、商環境コンサルタントとしてご活躍されています。現在も、渋谷、青山を拠点にしながら、北方四島、東南アジアへと意欲的に活動を広げています。さらに映画監督として、GACKTさん主演の『カーラヌカン』が公開されました。

「今日はあまり難しい話をしないで、今年77歳になりますが、渋谷に育てられた一人の青年が、相変わらず元気でこのあたりでウロウロ頑張っている、青春のままで生きている男の話として聴いてもらいたいということで、隠さずに話したいと思います。」
その言葉通り、浜野さんのトークは、若かりし頃の赤裸々な恋のお話しに始まり、さらに、今をときめくZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイの前野氏や、オフィスを借りたイッセイミヤケ氏のエピソードなど、人を媒介として浜野さんが関わったプロジェクトの話へと自然に移行し、一人の若者の青春映画を観るように、聴衆は引き込まれてゆきました。
渋谷に生きる「若者」の姿で「青春」というキーワードにふさわしく、過去、現在、未来という時間軸を、まちを歩くように移動し、渋谷のまちを氏浜野さんの仕事とともに語り尽くしました。

渋谷というまちが、会社起こしにつながり…

「渋谷というまちが、会社起こしにつながり、会社を起こしてから原宿を知り、表参道を知り、さらにその先にフロムファーストというライフスタイルを提案するビルを45年前に作ったんですね。通りが発展するように作っておいたから、今でも裏にもいい商業ビルが並んでいる。そのように誘導する仕事というのは何も利益にならないんですね。」
そして浜野さんが名付けたキャットストリートが出来上がります。

「その当時、チーマーとかコギャルとかガングロとかが買い食いする裏通りの溜まり場になっていたんですね。そこに私が目をつけた。」

もともと日の当たらない裏通りに世界一売れるパタゴニアの店舗ができました。そのきっかけは、パタゴニア創業者と浜野さんの奥様の作ったおにぎりを食べながらの「おにぎりコンタクト」でできたと言います。
そこから、表参道を視察したスティーブ・ジョブズがアップルストアを作ることにも繋がります。
仕事というものはパソコンに向かっていなくても川もオフィスになる、と浜野さんは語ります。
浜野さんの仕事は、建築を中心に語られますが、ただの建物ではなく必ず文化の裏付けがあります。AXISについても、AXISマガジンという雑誌、ビルディング、ギャラリーという3つセットでないとやらない、と言い、今でも雑誌は刊行され続けています。

一番お話したいのが、渋谷を歩く青年として、まちを歩いてまちを作ったというところなんです。

多くのまちに関わる仕事の中でも最も浜野さんが誇るのが、QFRONTと、その影響で今やアジアの名所となった渋谷スクランブル交差点です。多様な人々が混ざり合う交差点は、まさに浜野さんの仕事の象徴のように見えます。「私がQFRONTを作り、スクランブル交差点を守ったんです。これは地球文化遺産になってもいい。35万人が毎日通ります。私が作った建物の前でみんなが写真を撮って、『東京へ行ってきた』という場所なんです。」

人間の居場所を獲得してきた。

自分の作品としてうれしそうに語る様は青年そのものです。まちづくりの仕事のモチベーションは、トークの中にあった「人間の居場所を獲得してきた」というフレーズです。まち、雑誌、映画、その他のビジネスに至るまで、浜野さんの仕事に通底しているテーマのように感じました。
「今までも渋谷で生きてきて、今でも青山三丁目にビルを建て、これからも渋谷で生きていく。中国の大連からいろんな仕事して、アメリカにも長くいましたが、もう引き上げてきました。ここを死に場所に決めました。渋谷のおかげで健全な青春が過ごせた。その渋谷がすべてコンクリートで固められたらつまんないなぁと思います。ヒューマンなまちを残していきたい。全部ブランドが並んでブランド街になって私が住むまちじゃなくなっていくんですよね。もうブランドなんてみんなついてるのが嫌になってきたでしょう。」

そして現在…

そして現在も、徳川の末裔の方との日本酒のプロデュースや、台湾との合作映画を製作中

「最後は『カーラヌカン』の1/3で、自分の予算でできる範囲。世界はビッグコンテンツを求めてない。二千万でも三千万でも、一千万でも映画作れますよ。
ネットで販売することができる。劇場で見てもらいたいですよ。たまにこういうところに集まってお酒でも飲みながら観てくれればいいと思います。これからはスモールシアターやホームシアターで観るという時代になります。新しい時代の映画監督になりたいなと思います。」

「若者」の挑戦は続く…

これだけの功績を残しながら、新しい時代の映画監督になりたいという意欲には圧倒されます。
鮭のように育ったまちを死に場所と定め帰ってきた77歳の「若者」の挑戦は続きます。
ここからの渋谷のまちと浜野さんの活躍から目が離せません。

弊社では、劇場だけではなく、まちづくりやコンテンツ制作など様々なキーマンからお話を伺う機会を積極的に作り、今後の業務に活かして参ります。